蒼井 悠人

aoiharuto

英語の學び方

最近、自分のやつてきた英語の學び方を多くのひとに敎へて、實踐じつせんしてもらへないかといふことを考へてゐる。

8年前にTOEICを一度だけ受験して、SCOREは915だつた。それ以來何もテストを受けたことがないので、現在の自分の英語力を客観的に示すのは難しいが、日常會話、本を讀むこと、字幕なしで映畫やドラマを觀ること等は問題なくできる。もちろんわからないところも多々あるが、それらは辭書じしよ等で調べればすぐわかるといふ狀態である。要は英語を實生活上で活用できるレベルにあるといふこと。

學校での英語學習に於いて、この「實生活上で活用するといふこと」が本來の目的・目標である筈だが、衆知の如く、さうはなつてゐないのが現狀である。中學・高校・大學と英語を學ぶとする。眞面目に勉强してゐる人ならば、平均して每日一時閒程度は費やしてゐるであらう。中高だけで6年閒、365×6で2190時閒、大學を4年として合はせると3650時閒にも上る。それだけの時を費やしていつたい幾人が滿足に英語を使へるやうになつてゐるであらうか。1%にも滿たないであらう。全く人生の浪費以外の何者でもない。

たゞに時閒のみならず、その學習に費やす金錢もまた馬鹿にならないであらう。塾や豫備校よびかう、その他各種敎材にかかる費用はかなりの額に上るであらうから、家計への負担も輕視できないものがある。まことに勞多くして功少なく、何の爲にやつてゐるのか、敎師も親も本人もわけがわからない、といふのが僞らざる心境であらうと思ふ。

語學で一番大切なことは、母國語を學ぶやうに外國語を學ぶといふことである。さうすることにより、上記のやうな長い年月、多くの費用をかけずとも實用レベルの英語を習得することが可能なのである。

但し、たつた一つだけどうしてもなくてはならないものがある。

それは、「何としても英語を使へるやうになるんだ」といふ確固たる意志である。

それさへあれば、必ず習得できるのである。

英語

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