理想
「理」とは玉を「をさめる」ことである。
玉に文(あや)理(すじ)があり、磨いてそれをあらはすことである。人の肌におよぼしては、肌理といふ。
「想」の元字「相」は木と目に從ひ、視ることを字の本義とする。
「みる」とは、その本質にせまる行爲を意味し、また「相」が相互の意となるのは、視ることによつて兩者の交靈が可能となるからであらう、と『字統』(白川静)には說かれてゐる。
この「相」から「想」が生まれ、それは形容を想ひうかべることをあらはす字となつた。
「Vision」を想ひうかべるのである。
然うであるならば、「理想」とは、己の「Vision」を未來にむかつてたゆむことなく投映しつゞけ、同時にそれを「切磋琢磨」してゆくことではないか。
別言すれば、其の「在るべき姿」を整成してゆく實踐とも謂へるであろうか。
卽ち「理想」を有つといふことは、克己と同義であり、それを有たない、といふことは活(生)きてゐないのと何ら擇ぶところはない、さう思ふのである。
人(靈止)たるもの、常に凡ゆる存在の本質を視すゑながら生きてゆかなければならぬであらう。
「理想」を有たない者とは、與に學ぶことすらできぬ。況んや、與に權るをや。
*畫像の字は白川フォント(link)である。