『空に動く灯』

大體だいたい人間は、人間と自然界の森羅萬象しんらばんしやうとの區別くべつを鮮明にすることに、永い歷史的の努力をつづけて來たんだが、これはあまり愉快なことぢやないよ。人生を空虛に感じる心の大半は、そんな努力の遺傳ゐでんからいて來るのぢやないかしら。何時かは人間が、これまでの努力の道を逆戾りに步き出すかもしれないと、僕は思ふんだ、空に投げた石が、力がつきると共に地に落ちて來るやうにね。そして、この逆戾りした道が行き着く終點しうてんは、多元にして一元の世界だと思ふね。そこに君、人間の多くの救ひがあるんだ。”

(『空に動く灯』川端康成 大正十三年)

川端さんの初期の短編小說にある言葉。

この言葉にはとても大切な眞實しんじつがあるとおもふ。

現代は唯物主義があまりにも橫行してゐて、多くの人々は物事の半面しか見えてゐない、見ようとしてゐないんぢやないかな。融即ゆうそくといふことが忘れ去られてしまつて、気づかぬ中にどんどん心が貧しくなつてきてゐる。

自然界と人間界の融即、もう一度其處へゆかなければならないんぢやないかな。

空に動く、それを再び我々の心にともさなくては──



いにしへの人々は、たしかに多元にして一元の世界にぢゆうしてゐたのだとおもふ。
元