『小說の硏究』川端康成
近所の古書店で買つてから少しづゝ讀んでゐた本ですが、今日やつと讀了することができました。
昭和十七年四月に出版されたもので、川端さんの眼を通じて明治から昭和初期の文壇を概觀することができる內容となつてゐます。「當代の作家」では約百人の作家についての寸評を行つてをり、批評家としての川端さんの魅力を随所に感じることができます。
全編厭きることなく、とても興味深く讀むことができました。たくさん良い文章がありましたが、一番印象深かつたのは最終章「文章について」の冒頭にある次の一節です。
“少年時代、私は『源氏物語』や『枕草子』を讀んだことがある。手あたり次第に、なんでも讀んだのである。勿論、意味は分かりはしなかつた。ただ、言葉の響や文章の調を讀んでゐたのである。
音讀が私を少年の甘い哀感に誘ひこんでくれたのだつた。つまり、意味のない歌を歌つてゐたのだつた。
しかし今思つてみると、そのことは私の文章に最も多く影響してゐるらしい。その少年の日の歌の調は、今も尙ものを書く時の私の心に聞えて來る。私はその歌聲にそむくことが出來ない。
その少年の歌の後に、私が日本の文章に心から驚いたのは、祝詞と宣命とである。高等學校で習つた祝詞や宣命やを、やはり少年の日に音讀してゐたならば、私の文章はもつと力强いものになつてゐたらうに、と今更悔いても取返しがつかない。”
古典の音讀が如何に大切であるかといふことをあらためて痛感します。