主術
衆人の智に乘ずれば、則ち天下も有つに足らざる也、專ら其心を用ふれば、則ち獨身をも保つこと能はざる也。是故に、人主は之を覆ふに德を以てし、其智を行はずして、萬人の利とする所に因る。夫れ(人主は)踵を天下に擧げて(百姓は)利とする所を得、故に百姓、之を上に載せて重しとせざる也、之を前に錯きて害とせざる也、之を擧げて高しとせざる也。之を推して厭はざる也。主道は員なる者なり。運轉して端なく、化育すること神の如く、虛無因循して、常に後れて先だたざるなり。臣道は方なる者なり、論ずること是にして處すること當り、事を爲せば先づ倡へ、職を守ること分明にして、以て成功を立つる也。是故に、君臣、道を異にすれば則ち治まり、道を同じくすれば則ち亂る。各其宜しきを得、其當れるに處れば、則ち上下以て相使ふこと有る也。夫れ人主の治を聽くや、心を虛しくして志を弱くし、淸明にして闇からず、是故に、羣臣輻湊して竝び進み、愚治賢不肖となく、其能を盡さざる者莫ければ、則ち君は臣を制する所以を得、臣は君に事ふる所以を得て、國を治むるの道明かなり。
(『淮南子』「主術訓」)
大は世界全体(天下)の政治から小は一地方の會社まで、リーダーの道、部下の道には不變の要諦があるのではないでせうか。この言葉は今の世に於いてもその儘通ずることだと思はれます。
「君臣道を同じくすれば亂る」とは常々感ずるところです。實行は容易ではありませんが指針の一つとしたいところです。
※和譯は國譯漢文大成より。譯者注により衍文と臆はれるところを略してゐます。