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『日本美術論』(金原省吾)の「第五章 日本画の論理」を朗讀してゐます。
“東洋の畫は、霧の中にある形體として考へ得る。形は霧によつて細部を消され、角を消されて、一つの省略體となる。 物と物との關係に於いては、遠いものは消失し、そこは餘白となる。個物形體的に言へば、省略形體であり、畫面形體的にいへば、餘白形體である。 この濕度の與へる形體の變成は、日本の畫面形體の形成に露はな影響を与へ、これ迄の畫面形體は多少とも、霧による變形作用をうけて成立してゐる。そしてこれ迄の變成形體は、色彩の變成によつて成立した水墨の系統中に入り、この餘白と省略とが、水墨或は水墨中心の組織で表現される。これが風土的な日本畫の形成作用である。”
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金原省吾(1888〜1958)
『日本美術論』(金原省吾)
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『日本美術論』(金原省吾)の「第二章 日本美術の形成」を朗讀してゐます。
“日本が明瞭な歴史を持つた千五百年以來の歳月は、日本人がこの日本の土に住みついて、石器時代の生活をはじめた歲月よりも遙かに短かいと考へられる。日本人の祖先は金属器時代に入つてはじめてこの國土に現れ、先住民族を駆逐して日本の國家を立てたのではない。石器時代からこの國土に住み、この自然と親しみ、主として菜食型の生活を営み、和順なる日を送つたものと想像せられる。埴輪は石器時代後の形成であるが、その顔がおだやかで朗かであることは、當時の生活の狀態を示すものであり、同様なるこの性質は、すべての工作品に示され、他國の技術攝受の上にもあらはれてゐる。日本の今日の文化の基礎は、かかる上代の遺物の中から旣に發見せられ、他國の模倣によつて得られたもので無いことが知られる。ここに前述の繩紋土器文様の系統の發達し得なかつた理由がある。されば吾等はこの上代遺物の中に、日本文化の性格源泉を明かに見得るのである。”
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金原省吾(1888〜1958)
『日本美術論』(金原省吾)