種松山の山櫻
「種松山にて」
“誰にとつても、生きるとは、物事を正確に知る事ではないだらう。そんな格別な事を行ふより先きに、物事が生きられるといふ極く普通な事が行はれてゐるだらう。そして極く普通の意味で、見たり、感じたりしてゐる、私達の直接經驗の世界に現れて來る物は、皆私達の喜怒哀樂の情に染められてゐて、其處には、無色の物が這入つて來る餘地などないであらう。それは、悲しいとか樂しいとか、まるで人間の表情をしてゐるやうな物にしか出會ヘぬ世界だ、と言つても過言ではあるまい。それが、生きた經驗、凡そ經驗といふものゝ一番基本的で、尋常な姿だと言つてよからう。合法則的な客觀的事實の世界が、この曖昧な、主觀的な生活經驗の世界に、銳く對立するやうになつた事を、私達は、敎養の上でよく承知してゐるが、この基本的經驗の「ありやう」が、變へられるやうになつたわけではない。
宣長は、經驗といふ言葉は使はなかつた。だから、こゝでもう一度引用するといふ事になるのだが、「よろづの事を、心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、是事の心をしる也、物の心をしる也。(中略)わきまへしりて、其しなにしたがひて、感ずる所が、物のあはれ也」(紫文要領)──さうすると、「物のあはれ」は、この世に生きる經驗の、本來の「ありやう」のうちに現れると言ふ事になりはしないか。宣長は、この有るがまゝの世界を深く信じた。この「實」の、「自然の」「おのづからなる」などといろいろに呼ばれてゐる「事」の世界は、又「言」の世界でもあつたのである。”(『本居宣長』 小林秀雄)
西伊豆から倉敷に還つてくると、もう櫻の咲く季節。
四月四日、山櫻を視たくて種松山を步きました。開花はまだまだこれからといふ感じでしたが、下の寫眞のやうな姿を視ることができてよかつたです。
西伊豆で小林さんの『本居宣長』を讀み了へたところで、餘韻が胸に鳴り響いてゐたと懷ひます。
櫻を視るときいつも心に浮かぶのは、宣長さんや小林さんの言葉であつて、それはこれからも變ることがないだらうと想ひます。それほどふたりの言葉には力づよい言靈が宿つてゐて、讀む者の魂を搖り撼かさずには措きません。
“鶯之 木傳梅乃 移者 樱花之 時片設奴”(萬:一八五四)
“梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鶯之音”(萬:一八二九)
春されば、うぐひすの聲に耳をすませ、櫻を視る。
それが、それこそが、大和人の生き方ぢやないかな。
“足比奇乃 山櫻花 日竝而 如是開有者 甚戀目夜裳”
(萬:一四二五 山部赤人)山を下りつゝ水島の街を望みました。
また來年も往かなくてはな。
絕ゆることなくまた還り見むため。
𨳝皐月辛丑