白濱滯在記 二
この日も前囘と同樣に円月島方面へ撮影に行きました。
きれいな夕燒けを期待してゐましたが、日が暮れるにつれて段々と雲が出てきてしまひました。期待してゐた夕陽とは異ひますが、彼方の雲閒からこちらへとつゞく光の道筋はとてもうつくしいものであり、この景色を視ることができてよかつたとおもひます。
空と海が紫色に染められた波止場の光景もうつくしいです。
曇りのマジックアワーもわるくないです。
この日も前囘と同樣に円月島方面へ撮影に行きました。
きれいな夕燒けを期待してゐましたが、日が暮れるにつれて段々と雲が出てきてしまひました。期待してゐた夕陽とは異ひますが、彼方の雲閒からこちらへとつゞく光の道筋はとてもうつくしいものであり、この景色を視ることができてよかつたとおもひます。
空と海が紫色に染められた波止場の光景もうつくしいです。
曇りのマジックアワーもわるくないです。
十二月頭から年明けまでを白濱ですごしました。此處は夏になると活氣に滿ち溢れ娛しい街になるのでせうが、僕はしづかな海を視たかつたので、この季節に訪づれてよかつたと思つてゐます。
メインのビーチである白良濱もいゝですが、江津良海水浴場へに途次に見える田邊灣の景色もよかつたですね。これは白濱に來てすぐ撮つたものですが、初めて視るその海の美しさはとても印象的でした。
白良濱から円月島へ行く途中に「白濱漁協」や「白濱朝市」があるこの波止場があります。この邊りからは「円月島」がよく見えます。此處の雰圍氣はいゝですよ。
同じ場所であつても時のうつろひのなかで空も海も劇的に表情を變へますね。
これは白良濱で撮つたもので、左手に「ホテルシーモア」が見えます。
雲閒から射す光がうつくしい。
「三段壁」にも行きましたが、この日は曇りで景色はあまりよくなかつたです。寒かつたなあ......
白濱では海を眺めてゐると、彼方にかうして洋上をゆるやかに船が往來するのがいつも見えます。
金色の光につゝまれ、海の壯士たちは何を懷つてゐるのでせうか。
“人生の爭鬪に疲れ果てた靈魂にとつて、港は魅力のある住居だ。天空の廣さ、雲の動いてゆく建築、海の移り變る彩色、燈臺の閃き、これらは斷じて眼を疲らすことなく樂しませるのに不思議なほど適してゐるプリズムだ。複雜な艤裝をした船舶のすらりとした姿は、大浪のうねりが階調的な蕩搖を傳へて、靈魂に律動と美との風趣を支へるに役立つてゐる。そして殊に、もはや好奇心も野心も持たぬ者にとつては、望樓の中に橫臥はり或は防波堤の上に肱をついて、船出する人人や歸來する人人や、なほ未だ意志の力を、旅に出ようとか富を獲得しようとかいふ欲望を持つてゐる人人の、右往左往する動きを觀望してゐるのは、一種の神祕的な貴族的な快樂がある。”(『港』ボオドレエル 鈴木信太郞譯)
白濱滯在中に讀んでゐた『ボオドレエル詩集』にある詩です。「大浪のうねりが階調的な蕩遙を傳へて、靈魂に律動と美との風趣を支へる」といふところがすばらしい。
ドラマティックな空を背に悠々と飛ぶ鳥。
ではまた次囘!
「謹賀新年」
明けましておめでたうございます。
SNSでは旣にご挨拶申し上げましたが、あらためまして本年もどうぞよろしくお願い致します。皆樣と共に二〇一七年をすばらしい一年とすることができたらいゝな、と意つてゐるところです。
さて今年初のBlogですが、昨年末にSNSでシェアしたニュースでその開發を知つた「白川フォント(リンク)」について書いてみようとおもひます。
上の「謹賀新年」といふのはその中の「白川篆文」です。どのやうにしてこのBlogにアップしたかといふと、先づ「テキストエディット」(Mac)でフォントをこの「白川篆文」に設定し、「謹賀新年」と入力すると上の篆文が出力されます。次にそのテキストファイルを「PDFとして書き出」し、そのまゝPDFとして保存します。最後にこのファイルをJPGファイルに變換してトリミングをし、「image」挿入でアップしました。ファイル變換には試しに「Any フリー PDF JPG 変換」といふフリーソフトをつかつてみましたが(特に問題なし)、他にもソフトはたくさんあるので自分の好みに合ふものをつかつてもらへばいゝと思ひます。
フォントを自由に選擇できないアプリケーションやWebサイトも多いと想ふので、上記のやうに一手閒かゝるのは仕方ありませんね。
このフォントに由り、これからデジタル空閒に於いてより多くの人々に漢字の魅力を傳へることができるやうになるであらうと想はれます。開發に携はられた方々に厚く感謝申し上げたいと意ひます。ほんたうにありがたうございます。
それではさつそくこのフォントをつかつて、僕の好きな字の一つである「念」について書いてみます。
「念」(白川篆文)
酒坏尒 梅花浮 念共 飮而後者 落去登母与之(萬:一六五六 大伴坂上郞女)
久方乃 月夜乎淸美 梅花 心開而 吾念有公(萬:一六六一 紀少鹿女郞)
この二首は萬葉集卷第八「冬の相聞」の歌です。
この「念」といふ字について白川先生の『字統』には次のやうに說かれてゐます。
“形声 声符は今。今は栓のある蓋の形で、飲の正字である㱃は酓と欠とに従う。酓は酒樽(酉)に蓋栓(今)を加えた形である。〔説文〕十下に「常に思ふなり」とする。金文の〔大克鼎〕に「厥の聖保なる祖師華父を巠(経)念す」、〔毛公鼎〕「王畏の易からざるを敬念せよ」の「巠念」「敬念」が、字の原義である。〔詩、大雅、文王〕に「爾の祖を念ふこと無からんや」もその意。またいつまでも思いつづけることをいい、〔論語、公冶長〕に「伯夷・叔⿑は舊惡を念はず」とみえる。心は心臓の形。今は中のものを閉じこめる蓋で、心中に深く思うことを念という。(後略)”
また『字訓』には「おもふ【思・念】」の項に、
“四段。胸のうちに深く思うて、外にあらわすことのない考えごとをする。ひとり心のうちに抱く感情をいう。しかしそのような感情は、どうしても面にあらわれやすいものであるから、もとは「面」と同根の語であろう。そのような心理をもつ語として理解され、他の動詞・形容詞と複合して、用いることも多い。(中略)今は㱃(飲)の字形からも知られるように、壼形のものの蓋栓の形。従ってものを中に封じこめる意がある。(中略)〔万葉〕には「おもふ」という語が甚だ多いが、その表記には思よりも念の字を用いることが多い。念は心のうちに深く思い抱く意の字とされたのであろう。”
と、お書きになつてゐらつしやいます。
いまでは「おもふ」といふ言葉には「思」といふ字ばかりがつかはれ、「念」といふ字がつかはれることはほとんどないでせう。萬葉の古から脈々と受け繼がれてきた「國語のゆたかさ」を考へるとき、日本語はいま誠に憂慮すべき狀態にあるといはざるを得ません。「思ふ」「想ふ」「懷ふ」「意ふ」「臆ふ」「憶ふ」「念ふ」など、我々には實にたくさんの「おもひ」があります。
白川先生が遺された書により、大きな意味での日本語の復活が果されることを願つて已みません。
皆樣にとつて、二〇一七年はどのやうな歳になるのでせうか?
僕にとつてのこれからの一年は、益々「古念ゆ」といふ歳になるやうに想はれてなりません。
最後に柿本人麻呂の歌を、
夏野去 小壯鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉(萬:五〇二)
それではまた!!
今年も一年閒多くの方々にお世話になりました。本當にありがたうございました。
年を經る毎に一年が益々短く感じられます。今年もいつものやうに尺進寸退の日々でしたが、新しい人々と土地にふれることができ、その中で得たものは決して鮮少ではありませんでした。殊に奈良での經驗はこれからの人生にとても大きな意味をもつものであらうと想つてゐます。
今年一年は、一つの大きな目標が自分の中で確固として定まつた 、さういふ一年でした。自分の宿命といふものを確と自覺した、見定めることができた、いまそんな念ひを抱いてゐるところです。
早いもので來年は三十五歳を迎へることになり、自分にとつて、また一つの節目の年となるであらうと想はれます。三十代後半に豐かな稔りを獲ることができるやう、日々弛むことなく學びつゞけてゆかうと意つてゐます。
二〇一七年といふ歳が皆樣にとつてより良い一年となりますやう 、心より念願してをります。また、どうか皆樣が無事に新年をお迎へすることができますやうに。
それではまた來年よろしくお願ひ致します。
よいお年を!
『倉吉打吹まつり』
この日は先づ「倉吉博物館・倉吉歴史民俗資料館」へ行きました。とにかく「勾玉」を視たかつたんですよね。ほとんどレプリカだつたと憶ひますが視ることができてよかつたです。外にも『憶良が見た伯耆国』といふ特集展示があり、それも興味深かつたですね。
博物館をでゝから「打吹公園」を散策しました。此處は春になると櫻がうつくしいらしいですね。小高い丘に在り、步いてゐて心地よかつたです。下記の「天女傳說」もこの地に風趣を加へてゐます。
“昔、一人の男が東郷池の浅瀬で美しい天女が一人水浴びをしているのを発見しました。男は天女に恋をし、近くに脱いであった衣を隠してしまいました。天に帰れない天女は男の女房になり、二人の子を授かりました。
そんなある日、天女は羽衣を見つけ自分の体に羽衣をはおってみると、今まであった親子の愛情はたちまちうすれ、子ども達を地上に残したまま天界に飛んで行きました。二人の子ども達は大いに悲しみ、近くの小高い山(現在の打吹山)に登り、笛を吹き、太鼓を打ち鳴らし、母親に呼びかけました。しかし、母親の天女は二度と地上には帰って来ませんでした。”(「打吹天女伝説」倉吉観光情報より)
「市立成徳小学校」の壁に上記の天女とその子どもが畫かれてゐます。
『湊山公園にて』
これは中海を視たくて米子の「湊山公園」に行つた時に撮つたものです。たしか「足立美術館」に横山大觀の畫を觀に行つた歸りに立ち寄つたのだと憶ひます。曇つてゐて期待してゐた夕燒けを視ることはできなかつたんですけど、それでもこの穩やかな景色を視ることができてよかつたです。
時折ゆるやかに飛んでゆく鳥がまたうつくしかつたですね。
『キュリー祭』
「三朝温泉」で「キュリー祭」といふお祭りが開催されてゐました。三朝温泉は高濃度のラドン(ラヂウムが分解されて生じる弱い放射線)含有量を誇る世界屈指の放射能泉であるさうで、ラヂウムを發見したフランスのキュリー夫人に稱へてこのお祭りを每年開催してゐるさうです。
僕はまつたく豫備知識はなく、たゞ祭りの雰圍氣をたのしめたらいゝな、とおもひながらカメラを持つて出かけてゆきました。御覧の通り曇つてゐて光の弱い夕暮れでしたが、何とかブレずに撮影することができました。上の踊りのショットなんか特に、ブレるよなあ、と心配しつゝも手持ちで撮ることにしたものですが、よくブレずに濟んだものです(笑)たしか、f2.8・1/60ぐらいで撮つたと憶ひます。
ふらつと散策して、足湯で一休みし、晩飯を食べて歸りました。小さなお祭りでしたが、夏の宵の散策として行つてよかつたとおもひます。
『三朝温泉街へと步く』
ちょつとアンダーになつてしまひましたね‥‥‥
フランスの方も參加してゐたのでせう。
祭りといつても町は落ち着いてゐましたね。
たしか「米原写真館」だつたかな、レトロなカメラが展示されてゐました。
『三朝の⾭空』
今夏は三朝に滯在してゐました。奈良に行くまでに現像が間に合はなかつたので、いまやつとスキャンして編集してゐるところです。九月の初めに倉敷に還つて來て、それから半ばにすぐ奈良に移動しました。その場所の移動と時間の隔たりの爲か、いま夏に撮つた寫眞をみると、あらためて山陰の景色の美しさに瞠目します。
先日この地で大きな地震があり建物の倒壞など被害も少なくありませんでした。僕が居たところは幸い被害は小さなものであつたさうですが、倉吉の市街地などでは家屋の倒壞がたくさんあつたやうで、ほんの數ヶ月前にその街竝みを視てゐた者にとつては本當につらいことです。當地の人々がこれから復興にむけて元氣を出して励んでゆかれることを心から願つてゐます。
この度初めて山陰に滯在してみて、三朝、倉吉に限らずこの地の景色は本當にすばらしいなあ、とつよく感じました。それを少しでも感じてもらへるやう、これから少しづゝ寫眞に滯在記を添へてアップしてゆきたいとおもひます。
約一ヶ月の滯在を了へて先日鳥取より倉敷に歸鄕しました。これらの寫眞は鳥取に行くまへに現像だけしてスキャン・編集をしてゐなかつたものです。
この日は久々に「Yashica Electro 35 GS」をつかひました。とても暑かつたやうに記憶してゐますが、カメラをもつて美觀地區をぶらぶらと散步しました。
このカメラは「絞り優先」のみで、かういふスナップを撮るときは大抵絞りをf8か11にしてフォーカスを無限にしてゐます。フォーカス方法が、二重像をファインダー中央で合はす、といふタイプのカメラ(レンジファインダー)なので、いゝ景色をみて颯とシャッターを押したい時には焦点距離を無限にしておき、すぐに反應できるやうにしてゐます。また被寫界深度を氣にしなくてよいときには、絞りをf8か11をつかふことにしてゐます。さうすることにより僕にとつて一番よい狀態の畫が得られますから(いまこゝでは細かく書きません、長々としたテクニカルな話になりますので‥‥‥笑)。
古いカメラですが、レンズがいゝのか味のある畫を撮ることができます。いまでも世界中に根强いファンがゐるやうですね。まだまだ使へるカメラとだ思ひます。これからも氣が向いた時につかつていかうとおもつてゐます。
まだ種々と書きたいことがあるのですが、ちょつと忙しいので今日はこゝまで。また鳥取・島根の寫眞(只今現像中)をアップしたいとおもひます。
それではまた!
「阿智神社」より倉敷市街を望んで 一
「阿智神社」より倉敷市街を望んで 二
今日この空を瞻てゐて、「八雲立つ」とはかういふことか、と感動しました。
この地に生きた古の人々はこの空を日々瞻上ることにより、其處に神を視、その存在を身近に感じてゐたのでせう。
この地の空と雲はすぐ其處に在る 。それをつよく感じますね。
近所の古書店で買つてから少しづゝ讀んでゐた本ですが、今日やつと讀了することができました。
昭和十七年四月に出版されたもので、川端さんの眼を通じて明治から昭和初期の文壇を概觀することができる內容となつてゐます。「當代の作家」では約百人の作家についての寸評を行つてをり、批評家としての川端さんの魅力を随所に感じることができます。
全編厭きることなく、とても興味深く讀むことができました。たくさん良い文章がありましたが、一番印象深かつたのは最終章「文章について」の冒頭にある次の一節です。
“少年時代、私は『源氏物語』や『枕草子』を讀んだことがある。手あたり次第に、なんでも讀んだのである。勿論、意味は分かりはしなかつた。ただ、言葉の響や文章の調を讀んでゐたのである。
音讀が私を少年の甘い哀感に誘ひこんでくれたのだつた。つまり、意味のない歌を歌つてゐたのだつた。
しかし今思つてみると、そのことは私の文章に最も多く影響してゐるらしい。その少年の日の歌の調は、今も尙ものを書く時の私の心に聞えて來る。私はその歌聲にそむくことが出來ない。
その少年の歌の後に、私が日本の文章に心から驚いたのは、祝詞と宣命とである。高等學校で習つた祝詞や宣命やを、やはり少年の日に音讀してゐたならば、私の文章はもつと力强いものになつてゐたらうに、と今更悔いても取返しがつかない。”
古典の音讀が如何に大切であるかといふことをあらためて痛感します。
“敷島の やまと心を 人とはば 朝日に匂ふ 山さくら花”(本居宣長)
四月九日に吉野を訪ねました。二度目の吉野です。
前囘はロープウェイを利用しましたが、今囘は人が多すぎたこともあり、步いて上までゆくことにしました。
吉野は何といつても山櫻ですね。
前囘來た時と同じく今囘も中千本の辺りまでしかのぼることができませんでした。この日までに中腹までの花はかなり散りはじめてをり少し殘念でしたね。
それでもこれらのうつくしい山櫻を視ることができ、とてもうれしくおもつてゐます。
下は世界遺産となつてゐる吉水神社への參道に咲いてゐた花です。とてもきれいでした。吉野に行くことがあれば是非拝することをお勸めします。すばらしい場所です。
こちらが有名な吉水神社から視ることのできる一目千本の景色ですね。
“やすみしし 我が大君の 聞しをす 天の下に 國はしも さはにあれども 山川の 淸き河内と み心を 吉野の國の 花散らふ 秋津の野邊に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の 絕ゆることなく この山の いや高知らす みなぎらふ 瀧の宮處は 見れど飽かぬかも”(萬:三六 柿本人麿)
また必ず來ます。
“見れど飽かぬ 吉野の川の 常なめの 絕ゆることなく また歸り見む”(萬:三七 同 )
四月五日、櫻をもとめてふたゝび種松山の公園まで山路を辿りました。
山裾で視上げた竹の葉、涼風吹くみち。
こちらも山裾で。小花が山路にアクセントをつけてくれます。
陽光をうけてかゞやく綠葉。
舞ひ散る花片もうつくしかつたです。
この風景は好きですね。ゆるやかな曲線を描くみちに沿つて咲く櫻が見事です。
さらに辿つてゆくと路傍にはかういつた小花も咲いてゐて、目を樂しませてくれます。
靜かに其處に在る山櫻。心が滌はれます。
こゝも氣に入つてゐます。もうすぐ山頂の公園です。
この樹もよかつた。
公園の展望臺より西の玉島方面を望んで。夕日に照らされた高梁川がきれいでした。
麓の公園にて。
この日はほんたうによい時閒をすごすことができました。
また來年行くことができればいゝなとおもつてゐます。
尾道を堪能してから時閒に余裕があつたので、豫定にはなかつたのですが思ひ切つて宮島へ行くことに。高校の時以來二度目の渡島です。フェリーが氣持ちよかつた。海外からの來訪者も多かつたですね。
先づ嚴島神社に參詣してから、地元の方に櫻の見所を訊いてこちらのスポットへ。上の寫眞はピンボケしてゐますね、out of focus......でもまあそれはそれで何となく味があつていゝかなと(笑)
こゝにのぼつて來た時には曇りになつてゐて少し殘念でした。
“我が背子に我が戀ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり”(萬:一九〇三)
櫻も然ることながらうつくしい馬酔木に目を瞠りました。
豫期せぬ出逢ひに感謝です。
いつかまた行きたいとおもつてゐます。
(撮影:四月二日)
先日尾道美術館へ「日本画でみる万葉の世界ー奈良県立万葉文化館コレクション」を觀に行つてきました。青春18切符をつかつた一人旅です。
この日はちやうど櫻が滿開で、美術館のある千光寺公園はどこもお花見客でいつぱいでした。陽射しのとてもつよい日で、坂道をのぼつてゆくとすぐに汗ばむやうなお天氣でしたね。
坂をのぼりながら時折尾道市街を望みつゝ、櫻を視て𢌞りました。
尾道の街並み、ほんたうにいゝですよね。
坂道の途中でちょつと一休み......
櫻、ほんたうにきれいだよね。
海を背にして視る櫻はまた格別ですね。
尾道のあとは勢ひで宮島まで足を延ばすことに......
續きはまた明日書くことにします(笑)
(撮影:四月二日)
前囘の續きの寫眞です。
倉敷に種松山といふ小高い山があります。こゝにちよつとした公園があり、幼い時に遠足などでよく遊びに來てゐました。
当時はこゝに在る花々に目を向けることはほとんどありませんでした。しかし今かうして視てみると美しい花々に惠まれてゐることに氣がつき、植物園のお世話をしてくださつてゐる地元の方々に感謝しなければなあ、とつよくおもひます。
寫眞を撮るやうになると身近な草花が、たゞ其處に在る、といふことに感謝の念を禁じ得なくなります。それは多分に歳を重ねていくといふことにも因るのだと思ひますが、さういふ風に考へれば、年をとるといふこともわるいことばかりではないと思ひますね。
歳を重ねるとゝもに少しずつ自然と融即してゆける、さういふ生き方をしてゆきたいものです。
うちなびく春來るらし山のまの遠き木ぬれの咲き行く見れば(萬:一四二二 尾張連)
梅の花咲き散る園に我行かむ君が使を片待ちがてり(萬:一九〇〇)
先日近くの山に梅を撮影に行つてきました。
時折雪の零つてくるやうなとても寒い日でしたが、梅の盛りが短いこともあり思ひ切つて出かけることにしました。
この寫眞は山の麓で撮つたものですが、白梅と紅梅が比よく立ち竝んで居り、とてもうつくしかつたです。樹を植ゑられた方のお心ばへにおもひ廻らされます。
まだもう一本カメラの中に梅を寫してから最後まで撮り了つてゐないフィルムがあり、山頂で撮つた別の梅等がどういふ風に寫つてゐるのか現像を樂しみにしてゐるところです。よく撮れてゐたらまたアップしてみたいと思ひます。
GR DIGITAL f/2.8 1/1250秒
“誰が園の梅にかありけむここだくも咲きにけるかも見が欲しまでに(萬:二三二七)”
今年最初に視た梅の花。
まだまだ滿開ではありませんね。
蕾が若々しく、視てゐると力强い生命力を感じます。
これから日每に少しづゝ花開いていくのを樂しみにしてゐます。
“さういふ時彼女の顏のなかにともし火がともつたのだつた。この鏡の映像は窓の外のともし火を消す强さはなかつた。ともし火も映像を消しはしなかつた。さうしてともし火は彼女の顏のなかを流れて通るのだつた。しかし彼女の顏を光り輝かせるやうなことはしなかつた。冷たく遠い光であつた。小さい瞳のまはりをぼうつと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重つた瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光蟲であつた。”
“島村はその方を見て、ひよつと首を縮めた。鏡の奥が眞白に光つてゐるのは雪である。その雪のなかに女の眞赤な頰が浮かんでゐる。なんともいへぬ淸潔な美しさであつた。
もう日が昇るのか、鏡の雪は冷く燃えるやうな輝きを增して來た。それにつれて浮かぶ女の髮もあざやかな紫光りの黑を强めた。”
(『雪國』川端康成)
赤、白、黑のあざやかな對照。
「澄み上つて悲しいほど美しい聲」をもつ葉子。
しなやかでゐて凛とした駒子の魅力。
色彩、音、光。
五感を刺激される。
“國境の長いトンネルを拔けると雪國であつた。”
夢幻の世界へのいざなひでなくて何であらう...
春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かずふふみてもがも(萬:一七八一)
梅の花しだり柳に折り交へ花にたむけば君に會はむかも(萬:一九〇四)
梅の花我は散らさじあをによし奈良なる人の來つつみるがね(萬:一九〇六)
本日は春立つ日、立春ですね。
少しづゝ日がながくなつてきてゐるのを感じる今日此頃で、これから梅の花の盛りとなつていきますね。
梅を視てゐると春を感ずるとゝもに、いつも何か心の奥底が引き締まるおもひがします。櫻とはまた異つた魅力があり、いつも視れど飽かぬおもひのする花です。
今年もうつくしい梅花を視るのを樂しみにしてゐるところです。