寧樂滯在記 四「纒向」
「檜原神社より二上山を望む」
「古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 揷頭折兼」(萬:一一一八 人麿歌集)
十月三十日は纒向を散策しました。
奈良驛から「万葉まほろば線」に乘つて卷向驛まで行くのですが、この車窓から見える景色がまたいゝんですよね。南に向つて走るのですが、東西どちらを見ても癒されるんですよ。十六時頃出發の便に乘つたのですが、あらためて、いゝなあ、とおもひましたね。
「南へつゞく万葉まほろば線」
この日の雲はドラマティックでした。
「井寺池」
檜原神社への途次に池があり、夕空を映したその水面はとてもきれいでした。
葛城山や二上山といつた大和西峰に沈んでゆく夕日はいつ視てもうつくしいですね。
しかし、その夕日と二上山を視てゐると、うつくしさの奥に在る哀しみを感ぜずにはをれません。
やはりそれは大津皇子と大來皇女の悲運を憶はずにはゐられないからでせう。
「百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隱去牟」(萬:四一六 大津皇子被死之時磐余池陂流涕御作歌)
「宇都曾見乃 人有吾哉 從明日者 二上山乎 弟世登吾將見」(萬:一六五 移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大來皇女哀傷御作歌)
「instagram shot」
またこの地を步きたいとおもひます。