伊豆へ
つゞけてBlogを書いてきましたが、そろそろ伊豆へ行く準備をしなくてはなりません。結局この休みでも奈良については書くことができませんでした...(笑)
とても殘念ではありますが、また次の休みで書くことにします。奈良については書きたいことがたくさんあつて、とても短時日には書き切れないので。
まあゆつくりやつてゆきます。
つゞけてBlogを書いてきましたが、そろそろ伊豆へ行く準備をしなくてはなりません。結局この休みでも奈良については書くことができませんでした...(笑)
とても殘念ではありますが、また次の休みで書くことにします。奈良については書きたいことがたくさんあつて、とても短時日には書き切れないので。
まあゆつくりやつてゆきます。
『尾形光琳 江戸の天才絵師』
“「あんた、梅が咲いたんえ、ほら」
多代はそう言うと、紅梅の一枝を床の間の一輪ざしに挿した。
枝先の二、三輪が綻びている。ほのかに香りが漂う。
光琳は身を起こし、
「ええな、ええもんやな、梅はいつ見てもええ。春を感じるからやろな」
と言って、しばらく眺めていたが...”(『尾形光琳 江戸の天才絵師』)
二月五日に「MOA美術館」がリニューアルオープンします。
とてもすばらしいリニューアルとなつてゐると聞いてをり、五日に訪れる豫定なので、いまからとてもわくわくしてゐるところです。
數年前にこちらの美術館と「箱根美術館」に行く機會がありました。どちらもとてもすばらしかつたのをいまでも鮮明に憶えてゐます。しかし、季節は夏でしたので『紅白梅圖屏風』は展示されてをらず、そのとき拜觀することはかなひませんでした。
此の度めぐりめぐつてこのリニューアルオープンの時に再訪できること、また光琳の最高傑作『紅白梅圖屏風』を視ることができるといふことにとても仕合せを感じてをります。
この『尾形光琳 江戸の天才絵師』を今囘行く前にどうしても讀んでおきたかつたので、こゝ二日閒で集中して讀みつゞけ、先程讀了したところです。
光琳と、彼を支へつゞけた妻の多代。また父の宗謙や弟の乾山、親友の源丞など、魅力的な人々の織り成すとてもすばらしい物語でした。登場人物それぞれが活き活きとしてをり、活寫とはまさにこのことだと、つよく感じましたね。
京言葉の掛け合ひがよく活かされてゐて、讀んでゐて心地よかつたです。
物語は勿論のこと、この書の製本がまた大變すばらしいもので、光琳の作品の入圖が眼に迫つてきます。上質な紙をつかつてゐて、本自體がひとつの藝術品となつてゐると思ひます。
光琳の作品を視にゆく前に讀んでおいて本當によかつたと念ひます。
著者の飛鳥井さんがこの勞作をお書きになられたことにとても感謝致してをります。
ほんたうにありがたうございます!
ぜひ一讀を!
さて、この文を書いてゐると節分から、二月四日、立春となりました。
これから日一日と春にむかつて陽氣がつよくなつてゆきます。
一人でも多くのひとがこの機會に光琳の作品にふれることで、彼の陽を心にいたゞくことができたらすばらしいな、と意つてをります。
“...古と今とそれ何ぞ異ならむ。園の梅を賦して聊かに短詠を成す宜し。(梅花の歌三十三首序より)
梅の花 今盛りなり 思ふどち 插頭にしてな 今盛りなり(萬:八二〇 筑後守葛井大夫)
人每に 折り插頭しつつ 遊べども いやめづらしき 梅の花かも(萬:八二八 大判事丹氏麿)
萬代に 年は來經とも 梅の花 絕ゆることなく 咲き渡るべし(萬:八三〇 筑前介佐氏子首)
それではまた!
「瀬戸大橋」
三朝から倉敷に還つて來た翌日に「Yashica Electro 35 GS」をもつて香川へ行きました。(今囘の寫眞は「Nikon F3」で撮るものとはまたちがつた味がでゝゐます)
この日の目的は「香川県立東山魁夷せとうち美術館」と「丸亀城」に行くこと。
先づは茶屋町驛からマリンライナーに乘つて瀨戸大橋からの眺めをたのしみました。
「瀨戸内海の島々」
「香川県立東山魁夷せとうち美術館」(Instagram photos)
東山魁夷さんの畫はほんたうにすばらしく、あの獨得のタッチは誰にも眞似できませんよね。美術館のデザインもよく、瀨戸大橋を望むカフェからの風景(Instagram photo)がとても心地よいものでした。
「香川県立東山魁夷せとうち美術館」
「丸亀城」
「天守へとつゞく坂」
急坂を登つて天守へ行くと、すばらしい眺望が待つてゐました!
四方視界がひらけてをり、その眺望は想像を遙かに超えてゐました。
來てよかつたです!
「讚岐富士(飯野山)」
讚岐富士がよく見えます。
こゝから眺める瀨戸大橋は格別です。
瀬戸内海にふりそゝぐ陽光が神祕的でした。
この後、驛近くの「炭火焼とり わきや」さんで旨い「骨付き鳥」を食べて歸りました。
いゝ一日をすごすことができてよかつたです。
この旅については以上、簡略に書き記しておくことにします。
ではまた!
「三德川」
三朝出立の早朝、うつくしい朝燒けを視ることができさうだつたのでカメラをもつて跳び出しました!
夏のしづかな朝の空氣感がよかつたです。
最後に氣持ちのよい散策ができ、おもひのこすことなく倉敷に還ることができました。
この度の滯在ではよい人々にめぐりあふことができ、またすばらしい自然に圍まれて、とても充實した日々をすごすことができました。
此處でしか感じることのできない特別なものが在ると懐ひます。またいつか訪れたいですね。
この地の天地人に感謝致します。
ありがたうございました。
「三朝町立西小學校」
國遠み 念ひなわびそ 風のむた 雲の行くごと 言は通はむ(萬:三一七八)
「美保關燈臺」
“爾に速須佐之男命、其の御佩せる十拳劒を拔きて、其の蛇を切り散りたまひしかば、肥河血に變りて流れき。故、其の中の尾を切りたまひし時、御刀の刃毀けき。爾に怪しと思ほして、御刀の前以ちて刺し割きて見たまへば、都牟刈の大刀在りき。故、此の大刀を取りて、異しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。是は草那藝の大刀なり。故是を以ちて其の速須佐之男命、宮造作るべき地を出雲國に求ぎたまひき。爾に須賀の地に到り坐して詔りたまひしく、「吾此地に來て、我が御心須賀須賀斯。」とのりたまひて、其地に宮を作りて坐しき。故、其地をば須賀と云ふ。茲の大神、初めて須賀の宮を作りたまひし時、其地より雲立ち騰りき。爾に御歌を作みたまひき。其の歌は、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を”(『古事記』)
八月三十日(火)に親友と車で日歸り旅行をしました。
「倉吉驛前から境港までドライヴ」(Instagram photos)
朝早く彼が車で倉吉驛まで迎へに來てくれました。
いつもありがたうね!
はじめの目的地が境港にある「かいがん」といふお店で、「先づそこの旨い海鮮丼を食べて腹拵へをしよう!」と意氣込んでゐたのですが、いざ着いてみると、何と火曜定休ではありませんか!(呵々大笑)
「どうする?」
「コンビニで濟まさうか?」
等々と腹を空かせながら話をしつゝも、せつかくこゝまで來たのだから先に「美保關燈臺」に行くことに。
行つてみて大正解でした!
日本海の壯大な景色が最高でしたね。
蒼い海原。
靑い天空。
そして白い雲に、心地よい風。
「日本海」
此處にある「美保関灯台ビュッフェ」さんで腹拵へもできました。窓からの景色がすばらしいです。日本海を眺めながら食べる朝食は格別ですね。食べたのは「いか丼」だつたかな、先づ先づのお味で、あつさりしたものでした。
「美保關燈臺にて」(Instagram photos)
「美保關の駐車場より大山を望む」
こちらの大山も壯觀でしたね。
美保關をあとにしてひたすら西へ。
「宍道湖の北を通って出雲大社までドライヴ」(Instagram photos)
途中休憩で「宍道湖」を視る。
この日の湖面は荒々しかつた。
「出雲大社」
「八百丹杵築宮」
初めての御參拜です。
感無量でした。
幼少の頃の御守護にあらためて感謝申し上げました。
「島根県立古代出雲歴史博物館」
御參拜後はこちらの「島根県立古代出雲歴史博物館」へ行きました。
いやもうほんたうに盛りだくさんで、この日の持ち時間だけではすべてをじつくり視てまはることは無理でした。またいつの日か必ず再訪したいと意ひます。
博物館訪問を了へて歸路につきました。
今度はひたすら東へ!
途中で赤碕にある有名な「牛骨ラーメン」のお店「香味徳」さんへ寄りました。牛骨ですが割とあつさりしてゐて美味しかつたですよ。
「香味徳」(Instagram photos)
ラーメンを食べた後は、近くの海岸で小休憩。
雲がダイナミックでした。
また少し走つて、風車を閒近で見上げられるところがあり、撮影を兼ねて小休憩。
この邊りには風車がたくさんあつて、その白い姿をみてゐると氣分爽快です!
「夜長茶廊」(Instagram photo)
この後、親友のF君(笑)は僕を三朝まで送つてくれました。
「倉敷に歸る前に温泉に入りたい」といふことで、三朝温泉街にある「株湯」といふ共同浴場に電話してみました。まだ營業してゐるとのことで、F君は喜んで入浴に行つたのですが、すごくよかつたさうです。
受付の女の對應がすばらしく、他のお客さん(地元の方が多いさうです)の雰圍氣(マナー)もいゝ、その上お湯もバッチリ、といふことでとてもよい時閒をすごすことができたさうです。
旅のなかでさういふ時をすごすことができるといふのはすばらしい。
そのとき感じた人々のぬくもりはきつといつまでも忘れることはありませんから。
以上、親友との日歸り旅行記でした!