三朝滯在記 七「君之爲」
「羽黑蜻蛉」
三朝に來て先づ一番印象的だつたものが上の眞黑な蜻蛉でした。「羽黑蜻蛉」といふ名の蜻蛉で、雌の方が全身黑色なのださうです。別名「神樣とんぼ」と呼ばれてゐるさうで、水のきれいなところにしか生息してゐないとのこと。三朝の水はきれいですからたくさん居るのでせう。ほんたうに神祕的な蜻蛉でした。飛び方も日常よくみかける蜻蛉とは異なり、何といへばいゝか、視てゐると「幽けさ」といつたものを感じます。幽顯の境を往き來してゐる、そんな氣がします。
夏の野に咲く花、心を明るくしてくれます。
三朝球場の傍を通る路で見上げる。
「つきくさ(つゆくさ)」
「常立庵」への途上、近くを流れる川緣で。
月草に 衣ぞ染むる 君がため 綵色の衣 摺らむと念ひて(萬:一二五五)
「常立庵」近くに墓地がありますが、その近邊で撮つたものです。ニラと奥にツユクサも見えます。
伎波都久の 岡の莖韮 われ摘めど 籠にも滿たなふ 背なと摘まさね(萬:三四四四 古歌集)
畦道の草におかれた露。
行き行きて 相はぬ妹ゆゑ 久方の 天の露霜に 沾れにけるかも(萬:二三九五 人麿歌集)
山萵苣の 白露重み うらぶるる 心も深く 吾が戀止まず(萬:二四六九 同上)
烏玉の 吾が黑髮に 落りなづむ 天の露霜 取れば消につつ(萬:一一一六)
“「君がため」「妹がため」とは、その愛する人のための魂振り行為として、そのことが歌われているのである。それを歌うことも、また魂振りの意味をもつものであった。このような歌を背景において考えると、「伎波都久の」の歌が魂振りのための草摘みを歌うものであり、末句「背なと摘まさね」のもつ戯弄の意味も知られよう。草摘みは、もの思う女のする行為である。”(『初期万葉論』「第二章 巻頭の歌」白川静)
身近に愛すべきものはたくさん在りますね。